SNW東北ホームページの紹介
代表幹事 阿部 勝憲 令和4年11月3日

シニアネットワーク東北は、エネルギーや製造業などの産業界と大学や研究所を退職したメンバーの集まりで、分野は電力、燃料サイクル、プラント製造、教育など様々です。私たちは原子力やエネルギーに関する様々な課題や疑問について若者や地域の方々と対話する活動を行っています。その理由は以下の通りです。

エネルギー確保は食料と並び国の存立の要件です。特に近年、ウクライナ問題も絡み世界的なエネルギー争奪戦の状況となり、エネルギー問題は地球温暖化対策のうえからも向こう2050年まで及び以降の最重要課題になりました。
脱炭素(カーボンニュートラル)の実現には、S +3E(安全性S プラス 経済性E、環境両立性E、エネルギーセキュリティE)を踏まえたエネルギーミックスが望ましく、原子力、再生可能エネルギー、炭素低減型火力を組み合わせる必要があります。資源が乏しく島国の我が国は準国産エネルギーとしての原子力を基幹エネルギー源として開発・利用してきました。
東北地方には、稼働済みおよび建設中の原子力発電所に加えて原子燃料サイクルの中核施設が立地しており、さらに開発中の核融合炉研究施設もあります。これからも原子力の先進地としての特色を活かして、国のエネルギー自給率向上に寄与するとともに地域の産業・雇用に貢献してゆくと考えられます。
原子力施設は巨大プラントとしての特色と放射線を扱うことから、立地地域の人々と国民の理解が欠かせません。また、国際的には国際原子力機関(IAEA)で厳重に監視されております。特に東日本大震災による原子力事故の経験を受けて、施設の安全性と防護対策について理解してもらうことが必要となりました。シニアネットワーク東北は、原子力施設が多数立地する東北地域を中心に若者や地域の方々との対話会や見学会などの活動を通して原子力理解の促進を目指すボランティア団体です。2008年に発足し活動を継続しております。皆様のご理解ご支援を宜しくお願いいたします。

鳩山政権による普天間問題の迷走、尖閣諸島をめぐる日中関係は、今更ながら日本の政治指導者のみでなく多くの国民を含めて、これまで安全保障問題に関する課題が見送られ、先送りされ、危機意識も乏しく過ごしてきたかを痛感させるものになった。そう思いながらわが国の原子力の過去を振り返って見ると、多くの課題が先送りされてきているのが気になってくる。

その筆頭は高レベル廃棄物の最終処分場立地であるが、これは世界各国でも共通する課題であるから別として、原子力関係者の間で議論されていてもなかなか政治家に取り上げられず、メディアも冷静に科学的に取り上げず、実現しなかった制度や組織が、事故や異常事態の発生で大騒ぎとなった事態を解決するために、突然政治的決断でバタバタと短期間に決まってしまったものも多い。原子力船むつの事件の後の原子力施設の設置許可に於けるダブルチェック体制や公開ヒアリング或いは東海村の燃料加工工場の臨界事故の後決められたオフサイトセンターの設置や防災訓練の制度、社内の検査データが故意に隠されたとされる不祥事発覚後の事業者自主検査の義務化その他の検査制度等々いくつも例があげられる。これらのなかには、発生した問題と直接関係はないが、国民に安心と信頼を取り戻すために決められたものも見受けられる。敢て、個人的見解を述べれば、「むつ」の問題は時の森山科技庁長官の独断的姿勢に対する地元の反発と、原子力船事業団という小規模で予算執行の制約の多い組織が対応しきれなかった地元との交渉が最大の問題であり、また臨界事故も発電所とは関係のないものであった。決められたこと自体は間違っていないと思うが、何しろ短期に(国会日程に合わせた立法上の要請もあり)決められたから検討不足の点もいなめない。運用した結果で修正すれば良いと決めた当事者は思うかもしれないが、決められた制度の修正に伴う困難さは、電気事業関係者は痛感されていると想像しているところである。こうした経験から思うことは、例え世の関心を得ず、実現の見通しが薄い事柄であっても、原子力事業に携わってきたプロとして必要と思われる事柄について、政治的に慌ただしく、メディアや世論が沸騰する異常時でない静かな平常時において、専門家による対策を十分検討し、提案を用意しておくことである。この基礎となる案があってこそ時が来ると政治が飛びつくのである。

それは経済的競争に煩わされない国において本来行うべきという意見もあろう。確かに国の重要な仕事である。しかし様々な理由で事態が進まない現実がある。元来制度の在り方についてもっとも敏感なのは事業者であり、適正で実際的な制度を求める熱意は事業の当事者こそが永続的に持ち続けることができるものである。国への要請も含めて検討を忘れてはならないだろう。民間のシンクタンクの活用等具体的な方法は種々あろう。「政治家というのは素人だと思います。・・・・政治家から発想は出ません。・・・出された発想を吟味し、決断するのが政治家なんです。」と田原総一郎氏も最近の著書で述べられている。(絶対こうなる日本経済 アスコム社)

最近民主党による政治主導の掛け声に押されて、保安院の経産省からの分離、さらに安全委員会との合流といった規制組織の強化策がとりあげられている。規制と推進の分離という大義名分を根拠とする議論は実現する可能性も高い。しかし形式的に組織を変えても、規制の内容、規制当局の人材養成や資質の向上はそれによって直ぐに齎されるものではない。一番の問題は行政の中に如何に実情を理解した専門家が育てられるかにある。原子力施設の実務に必要な経験を規制官のキャリアパスにどう組み込むかといった検討などは殆ど聞かない。また私見を言わせてもらえば、その際にはダブルチェックや立地地域の住民を対象にした安全性に関する公開ヒアリング等の、理念はともかく現実的でない制度の再検討こそ、この機会に是非望みたいものである。

さて現状批判的な意見を述べてきたが、電力にしても電機メーカーにしても、わが国は米国のような大陸国家を別にすれば、国を代表するような大企業が複数存在する。これはこれまで人口の多さもあって比較的大きな国内需要があったことを反映したものとみられるが、ここにきて今後の成長があまり期待されず、企業は成長の見込まれる途上国市場へ進出することが生き残りを賭けた戦略とみなされるようになり、国の支援と合わせ、国として一体となった行動が求められるようになった。原発輸出の新会社設立も決められているが、真に一本化した提案や行動がとれるか、期待と同時に不安も感じざるを得ない。

これは乗り超えていかなければならない課題である。これは先送りを許されない課題であるから、上述した問題とは性質も違い解決の時間もかからないであろう。何よりこの経験を支えにして、原子力の数々の課題にも電気産業側からの一致した解決策の提案が積極的に示されるようになることを期待したい。

シニアネットワーク(前)会長の竹内哲夫氏からホームページ(会員のページ)随想蘭へ次世代を担う現役の皆さんへの思いを込めた沢山のメッセージ(玉稿)をいただきました。玉稿に手を加えるのは大変失礼ながら、筆者のご了解を得ながら順次抜粋を掲載させていただくことといたします。(文責 菅原剛彦)

終戦、ねぶた、そして21世紀には? シニアネットワーク(前)会長 竹内哲夫

今年の青森ねぶたは、昨年とがらりと変わって、連日の好天、猛暑の下で大いに盛り上がった。人が歓喜乱舞した最終日は、終戦直前の衝撃的な広島への原爆投下日と同じ、8月6日である。54年前の同じ日に閃光を浴び、焼け爛れた身体で水を求めてもがいた悲惨な人の群、この古いネガとを、わざとダブらせて皆を驚かせるのが本旨ではない。太平洋戦争を終結させるべく一瞬間で世界史に消すことのできない刻印を残したこの日とねぶたの夜のフィナーレとの陰陽対極的なこの奇遇はこれから先も続くだろう。

振り返って、原爆から今日までの半世紀こそは、人類史上にかつてない大変革があり、一方、課題も多く積み重ねた時期といえる…技術革新、大量生産と大量消費、エネルギー資源の有限への危惧、地球規模での環境問題…この時期に起こった変化は、縄文以来約1万年の人類の歩みの中で最も爆発的な急成長だった。人類全ては大袈裟にしても、少なくともわが国では21世紀の社会、生活、文化の平和で安定的な存続に心配の種を抱えている・。

戦後の数年は、米軍放出物資に群がり、闇市は生活の場、家庭では、裸電球60W3~4ヶの下に家族が群がり、食事、団欒、勉強をする状況で、電圧のふらつき停電は日常の事、イースト菌入り電極板パン焼き器など珍無類の物もあった。三種の神器と言われた白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機はこの頃から更に10年後、カラーテレビ、カー、クーラーのいわゆる3Cの登場は20年後、東京オリンピック(1964年)の前後である。

復興から高度成長へ 「昭和一桁」の活躍と悔恨

無残な焼け野原から立ち上がって、復興だけを念じて日本列島が一致団結して夢中になって頑張り続けているうちに、四半世紀も経たないうちに世界のトップレベルの経済大国に辿りつく。
復興の過程で「昭和一桁」という呼称で親しまれた私の属する世代の実直でひたむきな人の努力の寄与は大きいと思う。この世代は戦争の発端は知らず、物心ついた頃から耐乏生活をしており、生きるための本能発揮、即行動という、その成長過程は慌ただしく、まさに省略版そのものであった。この世代に与えられた単純明快な行動信条は、今思えば奇遇だが、それがそのまま高度成長への登坂力になっていた。しかし、過去の先達の(起こしてしまった戦争の)非を徹底批判するには幼すぎ、学校では天皇制軍国主義とGHQ司令官から与えられた平和(戦後)教育を半分ずつ、両極端ながら少・青年時代に反発もなく受けたという大きな特徴(欠落も)がこの年代の者にはある。自分の受けた教育にあまりにも断層があり、信じる気にはなれず、年齢的にはまだ十代でナイーブすぎ、明治時代の元勲が良き時代にじっくり体得したような信念や浪漫みたいなものを会得するには世は悪すぎ、ひたすら今を生きることに徹する人生しかなかった。

その後、家庭を持って自分の子弟教育の時代に入っても、まだ会社(か社会)へ向けての献身が先で、子は親の背を見て育つのが当たり前位に教育を考えていた。この間に教育現場は大きく変わり、受験難、偏差値重視、塾教育過熱、更に日教組、コマーシャリズムも入ってきたが、自分の教育体験が貧弱なため、息子の教育には金がかかる位は分かっていても、教育方針には無頓着で放任していた。この罰か、この世代が今になって、手遅れながら驚き慌てているテーマが教育問題であり、改革の必要性をしみじみと痛感している。今、半世紀を経て戦後を一番引きずっているのが教育ではなかろうか。(後述の国民としてのセキュリティー、自己責任、エネルギー問題、原子力の役割など基本的な認識や感性がずれ過ぎているこの現状を正すには、更に20年もかかるかと心配でならない。)

50年間に変わった生活体験、感性

人の営みでも2世代が移り変わった。何がこの間に変わったか、生き永らえた者にとっては簡単なこと、子供の頃を思い出せば事例がいくらでも出る。…大八車、リヤカーからチンチン電車、乗合自動車、マイカーへ、更にジェット機、新幹線時代へ。…そろばん、計算尺は博物館入り、手回しタイガ計算機、電卓からコンピュータへ。

また別の行動例をあげれば、50年前には、青森の学校訓練で津軽平野を徒歩で往復し、岩木山の信仰登山に汗を流して、十分な充足感があったと聞いた。今は関西空港からの直行便でカトマンズへひとっ飛びして、ヒマラヤの麓を普段着で気楽にトレッキングしている。人生体験の広がりに呆れても始まらないが、昔は望んでも途方もない夢と一蹴された事が今は可能どころか大衆化した。

人類少なくとも先進国の一世代の体験は著しく大きく、広く、深くなった。生きる喜び、快適さ、いわば人生の享楽指数というものがあれば十倍、いや百倍にもなっている。その分、当り前だが、単に生きるため以上に何十、何百倍のエネルギーを使ってしまう。これが贅沢かどうかの議論はさておいて、レジャーやアメニティーこれは人類の欲望本能であるが、この意欲が飛行機といわず宇宙開発までの進歩発展を生んだ。人類の進歩は贅沢だからと、のっけから否定したり非難するには当たらない。

今、この進歩し続けた人類の活動、光の当たる部分を支えるためには、これを支える蔭の大きい土台が堅固でなければならない。エネルギー、ひいては食糧などセキュリティーに係わる土台が、昔に比べ舞台装置が大きいだけにはるかに頑丈でなければならない。人類の営みは進歩し、体験は不可逆反応である。一度味をしめた冷房を止めてじっと我慢しなさいと清貧の勧めをしても難しい。私どもが戦後、清貧と飢餓を余儀なくされたのと今は事情が違う。

日本人はセキュリティーぼけ

この夏はセキュリティーについて色々と考えさせられる事件や報道があった。1つ目は、集中豪雨による神奈川県山北町の河原キャンプでの事故死である。集中豪雨によるいわゆる渓谷での鉄砲水被害である。被害者にはお気の毒だが安全のための自己防備は自分の責任。警報、報道などローカルにはあてにならぬもの。レジャーは野原、海原、いつものお茶の間とは違ってリスクは大きい。2つ目は、国旗、国歌に関する国会での議論だ。オリンピックに日の丸を渇望しながら、国家への帰属意識のないさすらい人を望むような意見を述べる人の気がしれない。3つ目は、隣接の危険視される国からの船やミサイル(や人工衛星)に対する防衛の議論である。沿岸にある原子力発電所も標的に成り得ると議論された。

また、日本人の海外旅行者はスリの標的、ニューヨークの高級店でのお洒落着ショッピングは日本人だけと揶揄されている(地元の人はカジュアルだ)。これは実によく言い当てた日本人評だ。おおよそ全ての国でセキュリティーの確立は国の存続の根元でもあり、これを疑う人はいない。secureとかsecurityという言葉自体も日本語ではぴったりした用語がなく、最近はセキュリティーというカナ文字で初めて定着してきた。この原因を考えれば、欧州、特に東欧のように今世紀中でさえも、自分の居住地の帰属する国が再々変わる。そのたびに家の前に他国の戦車が行き来する。普段、地下室に備蓄した前年の古米(麦)から食べる。日本では危機は、元寇、黒船、そして今回の大戦の3回と幸運にも少ない。嵐を神風として、お陰で難を逃れたなど、貴方任せな気楽な気持ちが元々ある。地勢、気候、風習、全てが幸いし過ぎて安全ボケに成りやすい。

セキュリティーの基本柱は食糧、エネルギー、防衛である。これは、国、国民が自己責任で確立、保持しなければならない。戦後教育の結果からか、自分の明日の不安をどうするか、こういう議論すら憚る傾向があることが気になる。特に、防衛で日米安保にすっかりオンブになりながら、基地や米軍の存在すらも最初から邪魔物視するのは分からない。世界を見渡せば、殆どの国では今も強制か志願かを問わず、若者は1回は兵役に服す事が一般的である。この風潮がゴミ問題にも通じ、貴方任せで自分の近くは嫌よ、という感情論だけが先行することに問題がある。

21世紀に何が心配か?

21世紀央に向けて多くの予測と問題点が指摘されており、データを用いた人口増加とエネルギー需要などをここで詳細に述べる事は割愛し、ごく一般的なシナリオを要約版で紹介する。

要はアジアを中心として、人口、エネルギー消費量も急激に伸びる。(日本が中では一番伸びが鈍化する。)人口1人当たりの消費量も文化度の向上に伴い増える。中国は、人口の母数も多く、加えて近代化も進む。世界の伸び率の4倍になる。アジアがエネルギー問題の中心になり、中東依存は日本だけではなくなる。現状の化石燃料のうち環境、コスト面で使いやすい天然ガス、油は資源の枯渇化が見え出す。また、油は石油化学系の原材料としての温存が議論されよう。石炭は環境面のハンデを持ち続ける。風力、太陽光、地熱などは精一杯に開発されるだろうが、量、質共に主流には成り得ない。やはり原子力が環境、コスト、量共に優れ、主流足り得る。核融合は21世紀央に実用化出来る目処はまだない云々。…

私が強調したいのは、シナリオを勉強し知識を備えるのではなくて、実行である。渡り鳥でも、翌年の飛来には、これまでの実態…例えば自然の餌、給餌の条件、気候…から子鳥の数を制限するとか、分散化すると聞く。真剣であり、また知恵がある。高等動物の頂点に立つなどと自惚れている我ら人類は、これでいいのか?紹介したようなシナリオに関する資料は、山ほど氾濫していて知っていても、自分の行動規範にしていない所が問題である。

人類の絶え間なき欲求と進歩で20世紀後半に一挙に高い消費水準に達したが、これに見合う将来の解決の確実な鍵はまだない。大量消費、使い捨て文化の結果としての環境問題も深刻である。21世紀、それは人類にとって、環境、エネルギー両面から不断の準備と対策を進めないとこのままでは危機が訪れることになる。

しからば どうすれば良いか?

生存への鍵探し、これにはあらゆるパスの探索を考えねばならない。節約を旨とした生活態様、省資源型の機器・住宅、既存の資源賦存量の再吟味、新しい資源(深海底メタン・クラスターなど)の発見とFS、全体としてリサイクル指向の社会の再構築につながる方策の全てを、重点項目とし、惜しんではならない。

一方、既に緒に就いているわが社の事業は、いち早い実用化が期待されており、これから考え出すものより遙かに確度の高いものである。この確実な推進は、21世紀に安心を与える現実的な重要な鍵となる。皆さんと共に、しっかりと使命感を持って進めたい。ウラン、プルトニウム、これらは石炭、油など化石燃料系と比べて重量当たり万倍以上のエネルギー密度を持つ。だから原爆になるではないかと、存在そのものすら恐れられ、これを否定する向きもある。しかし、エネルギー需要の増大に対しては、(新エネも十分開発し、しかも多用しても、)このオーダーの実力を持つものでなければ、21世紀の明日に向けての心配は消えない。

残念ながら終戦直前に、原子力利用は原爆として先に登場し、人類に恐怖の悪魔との印象を植え付けた。この秒単位の出現は被災国日本にとって、世界で唯一の直接体験であっただけに、その戦慄、恐怖感はきわめて甚大である。日本の原子力は他国の放った原爆の重い原罪を今もって肩代わりして負う結果となっている。この30年間に電力供給の主力になるまでに原子力発電は、営々とひたむきな努力と貢献をしてきたが、戦後の教育が皮相的で十分でなかったため、未だに社会のコンセンサスが乱れ、明日への道を皆で開こうという気運になっていない。誠にもどかしい限りだ。

一般の化石燃料の資源有限性の黄信号は21世紀の何時つくか?その時に急に慌て騒いでも、もう遅い。サイクル技術開発とこれの定着には十分なリードタイムが必要だからだ。深刻になる前の不断の準備、これがセキュリティーの本旨である。

21世紀に向け、我々は、当社の事業を人類の救世主として育てなければならない。このためには、我々からも多くのメッセージを出さねばならぬ。透明性の確保、安全操業、正しい管理が大前提である。それよりも何よりも、まず我々、当社が広く信頼され、期待されねばならない。

愁いなく歓喜に満ちたねぶたの跳人の群れが21世紀にも永く続く事を願って。

(1)今年(平成22年)6月初旬の産経新聞「海を渡る技術」 原発 もう通じない「紳士協定」の記事には正直言って吃驚させられた。内容は昨年12月末、アラブ首長国連邦(UAE)の4基の原子力発電所建設の受注合戦において、フランス・日本などの技術先進国が、これまで海外で受注実績のなかった韓国の政府、メーカー、ゼネコン、電力公社ががっちりスクラムを組んだ総力戦体制の前に敗北を喫したことである。初めて原発を輸入するUAEにたいして、建設だけでなく運転や保守、点検までサポートして、韓国は60年間、人員を派遣し、丸抱えで運転する超長期保障契約を結んだとの事である。

昭和61年(1986年)9月13日から28日にかけて第9回電力土木技術海外調査団として、フランス(ラ・アーグ再処理工場、ノージェン原子力発電所)ベルギー(モル高レベル廃棄物処分試験場)スイス(グラン・デュクセンダム)西ドイツ(ネッカー2原子力発電所)スペイン(ラ・ムエラ揚水発電所)等を歴訪してきた。この時点で我が国においては六ケ所村に再処理工場を作ること並びに日本原燃(株)が発足しており、現に調査団にも原燃社員が参加していた。ベルギーのモルにある高レベル廃棄物処理地下研究施設であるが、僅か3万平方キロという狭い国土のベルギーでは地層処分向きと言われる岩塩や硬質岩が適当な深さの地下に元々存在しないそうである。同研究所の地下は約200mまでが砂で、その下に約100m厚の粘土層があり、その下は透水性の高い砂層だそうである。そこでベルギーは高レベル廃棄物地層処分の対象地層としてこの粘土層を取り上げ、地下220mに長さ35mの実験用ギャラリーと深さ23mの立抗を設置し、粘土層での原位置データの収集、地下構造物の実証、地下水流動調査、安全性の評価などを実施中であった。同時にモルの研究所では地下水の流動解析はフランスのコードに頼り、地層の地質化学的調査は外の大学の協力を得、またリスク解析についてはヨーロッパ共同体の共同作業とするなど、その調査研究の遂行に当たっては国内ばかりか国外の研究協力を積極的に取り入れているとの事であった。そこで私は遂うっかりと「ウラン燃料提供国であるフランスに使用済燃料の処理を頼めないのか」と質問してしまった。返事は「自国で消費した使用済燃料は自国の責任で処理せざるを得ない」という至極真っ当なものであり、私は自分の国際常識の欠落を痛切に反省させられた。

その後平成8年(1996年)10月6日から13日にかけて日本アジア交流協会創立17周年記念として、東電の荒木社長を団長として訪中した。うち7日と8日は北京に滞在し、中国国際友好連絡会(代表団受入機関)、李鵬総理、国家計画委員会、石炭、石油、電力、原子力をはじめとするエネルギー機関の大臣などの諸機関を表敬訪問をし、9日は重慶に移動、10~12日にかけて三峡くだり特に三峡ダムサイトの視察をして13日帰国した。

冒頭の北京表敬訪問後の夕食会の際、偶々私の隣に座られた方が「あなたの会社は今どこからウラン燃料を仕入れているのか?」と聞くので「カナダからだよ」と答えました。「そんな遠くから買わなくても中国から簡単に買えるよ」と可なりしつっこく繰り返すので、私も微笑しながら「中国は広いから使用済燃料をそのまま引き取って呉れるんなら有難いんだがね」と言いました。食事中だったのですが、彼も途端ににっこり笑いながら、それだと僕の首がとぶよという仕草をしました。1996年のこの時点では「自国の使用済燃料は自国の責任で始末をすべき」という国際常識は生きている事を痛感しました。

我が国においても今秋には韓流の官民共同出資の「国際原子力開発」(仮称)が発足する予定と言われていますが、環境対策や景気対策上からも是非この世界的な原子力ルネッサンスの波に乗り遅れないようにして欲しいものである。

(2)「SNW東北」会員に配信されている林勉氏(SNWおよびエネルギー問題に発言する会幹事)からの情報は私共にとっては大変貴重なものであるが、去る7月6日の朝日新聞の記事は興味深いものであった。内容は日本国内で出る下水は処理済みベースで年間約140億トン、その約2割は公園の水遊び場でも使えるレベルまで高度に処理しているが、下水の再利用率は2007年度で1.5%に過ぎず殆どが海や川に捨てられているそうである。

一方豪州は全土が水不足であり西部の鉄鉱山では、鉄鉱石を洗ったり粉塵が舞い上がらないようにするために大量の水を使うが、今使っているのは海水淡水化の水でトン300~400円もするそうです。そこで豪州から日本に鉄鉱石を運んできて空になった船体を安定させるために「バラスト水」と呼ばれる海水を船内のタンクに入れて帰る、その海水のかわりに千葉市、川崎市の下水を高度処理して豪州に輸出する実験を国土交通省などが思い付き、それにウエスタンオーストラリア州政府が合意したとの事である。今回の実験で「水資源」ビジネスの諸課題が克服されれば世界的な「水の偏在」の状況のもとで日本が「水資源輸出国」になる可能性もある訳である。

私は昭和34年(1959年)1月、新鳴子・上野尻発電所建設の現場を経験させて頂いた後本店の土木建設課に戻り、企画課の人達と一緒に中央電力協議会の「電源開発方式研究会」に参加して水主火従から火主水従に変わりつつあった時代を背景に水力地点の経済性評価方式の研究に携わったり、新設されたばかりの東地域電源調整会議の場でこれまでの需給本位の広域運営から恰も一社に於けると同様な地域単一開発計画の作成に従事する事が出来た。その当時一緒に仕事をした仲間は所属する会社の枠を離れて今でも親友の思いが強いが本当に有難い事であった。当時は中東からの原油の輸入が主体であったが、我々の間では中東に於ける海水の淡水化のコストとか或いは日本からの帰路の油輸送船に屋久島あたりで天然水を積み込めないか等という議論が交わされていたのを懐かしく思い出しました。(以上)
(平成22年9月7日記)

昨年政権交代で誕生した鳩山政権は、温室効果ガス「90年比25%」の削減目標を打ち出した。今後、具体的削減の道筋や国民経済への影響などを示した上で、業界を含め国民的議論おこなってゆくことになる。われわれ電気事業者は公益的使命を踏まえ、地球温暖化防止対策を最重要課題の一つと位置づけ、太陽光発電の導入、エネルギー利用高効率化に役立つヒートポンプ技術などと積極的に取り組んでいるところであるが、しかし、原子力発電こそが、「低炭素社会」の実現に極めて重要な役割を果たすであろう。原子力の役割と存在感を改めて認識し、安全性の確保に万全を期しながら本来有する実力を十二分に、かつ、遺憾なく発揮されることを強く期待している。

新年早々、当社にとって明るいニュースは、1月8日プルサーマルが許可されたことで、資源小国のわが国にとって、「ウラン資源の有効活用」と「プルトニウムの平和利用」の観点から極めて意義深い。一方、足踏み状態の六ヶ所再処理工場は本年10月竣工に向けて懸命の努力がなされており、原子力燃料サイクルの確立実現を強く期待したい。

標題を見てこりゃ何だ!と思われたと思いますが、その説明は後にして、まず新年のご挨拶を申し上げます。政権交代しましたが、原子力を含めわが国が抱える多くの課題がどのように克服されていくのか全く不透明で、こんな状況下で未来に向けたメッセージとして何を申し上げていいのか迷います。調子の良い言葉を並べて激励できると思うのは、情けない政治家の真似をするようで気が進みません。低炭素社会へ向けて切り札と思われる原子力発電も、海外では新興の途上国を中心に計画が発表され、メーカーの競争が伝えられますが、日本の国内ではこれまでと殆ど同じ状況が続き、新しい政策も見えません。そんななかで東北電力のプルサーマルに国の許可が降り、実施に一歩踏み出せたのは良いニュースでしたが、地元の了解その他をめぐり関係者の努力がなお続くと予想されます。核不拡散や燃料サイクルの問題に関係するプルトニウムを巡る課題については、最近の国際的テロ対策の問題もあり、今なお識者の間にも種々の意見が絶えず、国策として決定してもすんなりと地元自治体が了承する状況に無く、そんな中で関係者の皆さんはどのような思いで、地元の人々やマスコミに向かっておられるか、考えると胸が痛みます。現在の具体的な状況はわかりませんが。20年も30年も前の状況とあまり変わっていないのではないかとさえ感じられます。

そんな感慨にふけっていた時思い出したのが曽野綾子さんの書かれた「陸影を見ず」という小説です。これは1992年11月「もんじゅ」の取替燃料製造に使用するプルトニウム(日本の電力の使用済み燃料を再処理して得られたもの)を、あかつき丸という輸送船でフランスから東海の原電の港まで、約2ヶ月間何処にも寄港せず運搬された時の航海の物語です。今この話がどの程度皆さんの記憶にあるかわかりませんが、この最初のプル輸送は著者があとがきに書かれているように「一口で言うと、その任務は怒声と非難の嵐のなかで遂行されたもので」した。テロ対策のためほとんど一般に公報されていない航海の状況でしたが、10年後の2000年に至り、曽野さんによれば「”あかつき丸”と”むつ”は私の胸に最初から記録を残したい船であった。”むつ”を書く機会は永遠に失われた。しかし”あかつき丸”は辛うじて間に合った」として発刊されましたが、何故か原子力関係者の間であまり話題になって来ませんでした。既に書店からは姿を消していますので入手できるか知りませんが、世間の様々な非難や賞賛とは別の次元で、黙々と静かに使命感に支えられて、原子力で苦労している人々の胸に秘めた思いを、よく書いてくれたと感銘した私にとって、とても残念な思いを抱いてきました。小説の中で私が強い印象を受けた話の一つが標題のドミンゴという修道士の話です。陸影の全く見えない航海を続けながら、航路の近くにある諸国の風景や歴史遺産等をあたかも眺めたかのように思い描いた航海日誌が乗組員の一人によって書かれます。だから内容が事実か否かは判らないものですが、このような日誌が創作された状況は痛いほど伝わります。

スペインの小さな町にある修道院にいたドミンゴは全く平凡なとくに取り得のない修道士で、ラテン語で祈ったり、ギリシャ語で聖書を読んだりするような勉強は苦手でした。当時(といっても何時かわかりませんが)スペインのサンチアーゴ・デ・コンポステラ という聖地にフランスから多くの巡礼者が詣でていましたが、この修道院はその通り道にありました。しかし道は悪く雨季には泥濘と化して巡礼者は難渋していました。そこでドミンゴは一人で来る日も来る日も道路に敷石を敷く作業をはじめたのです。どれぐらいかかったのか、肝心の修道士の務めに差し障りがあったのかわかりませんが、回りの評判はあまり良くなかったようです。そしてドミンゴは亡くなり、敷石は残り、何千何万という何も知らない巡礼者の足を支え続け、いつしかこの町は敷石のドミンゴと呼ばれるようになったという話です。

この話自体スペインに伝わっているものかもはっきりしていないものですが、人の心にずっしりとした印象を残すのはこんな姿だなと感じた次第です。

曽野綾子さんはかなり以前にも、人里離れた山間地でダム建設に従事する土木技術者を取り上げた小説を書かれており、電力の土木屋さんにはファンの多いことで知られています。原子力の皆さんももし機会があれば読んでみてください。その機会はなさそうだとしても、世間の評価を超えて、後世のために残す本物の仕事に対し、使命感とプライドを持って、静かに今年も頑張って行きたいものです。

会員のみなさまへ

シニアネットワーク東北第1回総会は、6月5日(金)林 勉(東京のシニアネットワーク連絡会幹事)、本田 一明(東北電力原子力副部長)のご来賓、八島 俊章、小林 智夫、高橋 由巳、松田 泰各顧問、会員では清野東北大医療短大名誉教授、菊地新喜東北学院大学名誉教授、早坂明夫福島大学名誉教授はじめ会員各位のご参加で総勢22名、委任状でのご参加会員9名で盛会裡に開催することが出来ました。各位に衷心より御礼申し上げます。

総会には、毎月拡大幹事会(代表幹事2名、幹事7名、監事2名)で検討・審議して参りました。活動状況および活動計画、収支予算、規約改正、ホームページ開設等ついて、報告と提案事項をお諮りしご承認を得ました。大変有難うございました。

総会第2部として、全国各大学での対話に先立って行われた各講師の基調講演の共通点について、当方より報告し、引き続き、林様から対話の反応(学生、教員、シニアからの反応)についてご講演がありました。

この後、意見交換ということで、皆様の忌憚のないご意見や感想などを出していただきました。技術の伝承、若者のモチベーション向上および育成、エネルギー教育の重要性など共通する問題意識の中で、シニアネットワーク連絡会や東北原子力懇談会と連携したシニアネットワーク東北(を含めて)の役割が極めて大きいことが共通の認識になったと思います。今回の総会についてご出席の皆様から一定の評価をいただいたことはご同慶の至りでした。

一方、シニアネットワーク活動のゴールに至る道のりは険しくエンドレスですから活動の継続的そして着実な進捗を重ねることの大切さが共通の理解であると思います。ご来賓、顧問、および会員の皆様には今後とも変わらぬご支援をよろしくお願い申し上げます。(以上)

シニアネットワーク東北発足にあたり、次のようなご挨拶(要旨)を頂戴しました。

日本アジア交流協会の一員としてここ数年、年に一回は中国を訪問し、その都度、中国核工業集団公司の幹部の方々と会っていろんな話をしていますが、特に最近の中国の原子力発電の開発テンポは急で、2020年までに4000万キロワットとか最近では7000万キロワットを開発するとかという計画になってきています。

この計画に対して、私は「設備は5、6年でできるとしても、それを運転、保守する人間は一人前になるまで最低10年ぐらいの期間を要しますから、それらの人材の養成がます先ではないでしょうか。それは是非、進めていただきたい、何と言っても最後は優秀な人材が充分いるかいないかがカギですよ」と申し上げてきました。

最近の中国の理工系の学生は原子力に対して熱い目を向けてきているようで、優秀な学生が年間数百人規模で原子力産業に就職しているようです。

わが国でも、次世代の原子力を担う人材の育成と確保が喫緊の課題ですので、シニアネットワーク連絡会やシニアネットワーク東北が、そのような分野に対しても活動を展開していただくよう強く期待したい。(以上)

この度の「シニアネットワーク東北」の設立おめでとうございます。

「シニアネットワーク連絡会」の理念を共有し、エネルギー基地としての東北の地域特性を踏まえたご活躍を期待いたします。シニアの熱い思いを若者に伝え、原子力の理解とこれからの原子力平和利用を支えてもらうことは心強い限りです。

原子力懇談会との連携を図っていただいて効果を上げていただければと思います。また、初心であるボランタリー精神を大切にした活動が共感を得ることになると信じます。

東北原子力懇談会は、今年創立50周年を迎えます。先人の並々ならぬご苦労の積み重ねの50年だったと感慨無量です。

原子力をめぐる情勢は、依然として厳しいものがあります。当会の原点を忘れず、足元と将来に向かっての原子力平和利用のための活動を真摯に、粘り強く進める覚悟です。

王道のない道を、皆さんと志を一つにし進みたいと思います。

「シニアネットワーク東北」の皆さんのご活躍をご期待申し上げます。

地球温暖化という環境問題や国際的な石油の需給逼迫という大きな問題を抱え原子力の役割は国際的に見直されている。また、エネルギー自給率が極端に低いわが国にとっても原子力の役割は益々重要になっている。

東北地域には、わが国の原子力発電設備の40%(2000万Kw)以上が設置されており、世界に誇れる原子燃料サイクル施設もある。このほか、火力、水力、地熱、風力発電などが数多く稼動しており、さらに、石油備蓄施設やガスパイプラインなど特徴的なエネルギー施設も多数ある。東北は多様なエネルギー関連の産業地域であると同時に、多数の理系大学、高専工業高校を擁して技術系の人材の供給基地でもある。

従って、「シニアネットワーク」の理念を共有し、 他の地方に先駆けて、「シニアネットワーク東北」を設立したことは非常に有意義なことである。次世代を担う地域の若者に、原子力を含むエネルギーや環境問題に大いに関心をもってもらい、理解してもらうため、永続的、積極的な活動の展開を期待している。

昨年末のSNW東北の仙台での晴れの発会式にはお招きを受けて有難うございました。同じ想いの同志が東北の地での誕生したことを心より嬉しく思っております。また、2月の八戸工大での対話ご参加くだされ有難うございました。また早速に、東北学院大学でSNW東北の独自活動を開始されたと伺い同慶の至りです。新しい年度が始まりました。最近の情勢、体験など、思いつきですが一言メールさせていただきます。エイプリル・フールのつもりではございません。

情勢ご挨拶 社会の激変 百年に一度の恐慌とは

百年に一度といわれる今回の世界動乱はやはり国際金融と貿易に大打撃で、昔からの日本の御家芸と言われた加工製造業も失速して、電力需要自体も大幅に下方修正になっているようです。最近の動きは、オイルピーク論が図星の動き、杞憂が現実の意識になり今回の動乱のきっかけを作ったかなと思います。この半世紀の世界の先進国での高度成長は、地球の隠し財産、化石資源をむさぼり掘って作った砂上の楼閣であって、発展途上国が同じ道を求めて追従しかけた途端に楼閣、バベルの塔の荷重が持たぬというわけです。この先進国ほど打撃が大きく、資源問題と裏腹の関係にある環境問題が、温暖化として世界的な不安をあおり警告として異様なくらいに議論が高まっています。しかし、根本は無限連続の発展を仮想したヒト社会に無理があったのでしょう。先進国と、これを追った途上国、グローバルな膨張・発展の願望と所作は、結果して半世紀の高度成長と言う津波であって、今、これは壊れて引き波に向きを変えつつある。引き波は襲来波よりはるかに怖い、僅か半年で高度文明、奢侈の花形だった世界の自動車産業を全部破壊し、モーターショウに大手は殆ど参加せず、皮肉にも同じ日にインドのタタ社の超低燃費小型車ナノの登場が報道されました。

日本の社会、産業活動でもこの急速な異変に、百年に一度の戸惑いとともに、これまでの固定観念の見直しがでています。製造業の発展が、日本では国の生命維持の得意芸でGNP大国として外資の稼ぎ頭でしたが、今後はこのままの延長線はなく、おそらく世界は窮屈ながら省エネ、省資源、節約の道に戻らざるを得ない。

北九州地方が日米の自動車産業の下請け城下町で今大騒ぎになっており、日本中がこの急失速ブレーキで加工業の雇用はあふれて問題になり、50年前の日本の姿ながら、生命維持、生活に直結した一次産業である農業、林業、漁業の復帰に目がいっています。この50年間の様変わりの中で、「古き良き日本」といわれた古来の美徳と自然が比較的に残されているは 東北地方です。ここでは変革、変身に遅れがあると焦りを感じていましたが、今の大動乱の結果、分かりました。高度成長の成果主義、個人主義でやや荒れた日本人の心に緩衝地帯として役立つ自然の温床も東北地方には豊富です。オシンの故郷で心と実直な日本人の切磋琢磨の大切さを再度評価すべき時代の再来です。

東北地方には、次世代の資源エネルギー時代の橋頭堡たる「六ヶ所村」もあり、そして原子力発電所は全国の4割近くあり、また昔からの実務的教育が篤かったため国内各所の発電所、メーカーなどには多くの子弟が重用されている実績があります。高度成長の変革が緩やかだった地域が、今となれば逆に津波の引き波対策の防波堤になるでしょう。

これまで原子力や放射線利用にとかく無頓着で加えて原子力傾斜に批判的だった諸団体が、急に目先を失い、先行きの質問や、対話後援の要請がこの1-2ヶ月に急に出てきました。時代の位相の急反転を感じますが、こういう方々へはいま、まさに対話を広める甲斐のある時です。

SNWからの最近の四方山話

さて時代を切る様な大言壮語を先にしましたが、SNWを巡る最近の話題、体験談などを紹介します。順不同、TPO、テーマもマチマチなのはご容赦下さい。

原爆と原発 被災地 長崎・広島での学生対話

この半年に、原爆被災地の原点、長崎と広島で学生対話を行いました。しかもこれまでの標準型の原子力専攻の学生でなく、長崎では教育学部、広島で海員専攻の学生です。私たちSNWも全国展開では全員参加でなく、費用対効果を考え分担制で私は広島に参加しました。

原爆と原発 コトダマ論の代表の用語ですが、原爆記念館を今回は前日にしかと見学し、対話集会では実祖父・親戚を被災で失った学生と対話するなどして、恐怖のトラウマの原罪がいかに重いかを感じました。また、この悲惨さを早く忘れさせるために戦後教育で日米政府が徹底した原子力、放射線教育を抹殺し続けたが実感できました。これからは原子力の光と影は、双方ともに正しく知り、強く達成せねば未来の人類の生存の基盤がないと思います。SNWは原子力の利用拡大に声がつい大きくなりがちですが、「核不拡散」すなわち日本の世界人類へのアッピール使命も活動の骨に入れるべきだと思います。

ファシリテーター(FT)

この言葉は最近の外来カタカナ流行語の一つですが、意外に最近の学会討論などでも多用されています。SNWでも広島、長崎の学生対話で取り入れました。FTは単なる司会、進行役というより会議の纏め、論点整理をする仕切り役と見るべきです。 我々の学生対話では、初対面で世代巾が大きい経験、素養、知識が全く違うグループが2-3時間で議論をするので、よく導入部で困ることが多いが、このときにFTがいわば連想ゲームを始める。たとえば「地球温暖化」で各自が連想する心配、疑問を並べその論点整理から評判の多いほうから議論をはじめるといった遊びを入れる方式です。これで各自が緊張がほどけ議論に参加しやすくなります。とかく学生、若者は発言に躊躇いがちなので、これを埋めるためシニアが折伏型の口角泡をとばす熱弁で対話が一方的な会になる弊害が過去に多々あったことが、この方式では救われます。当然のことながらFTはシニアでも学生でもない中間層の方がベターですが、この方の識見、能力でグループ討議の成果は大きく影響します。私もまだこの方式に慣れていませんが、多くの方の参画効果は大きいので、お試ししてはいかがですか?

台湾学生との交流会

SNW有志を中心に約10名が、年末に台湾清華大学〔台北近郊〕との学生対話をしました。過去のてらいからか、台湾と日本は近くて遠い国になっていると実感しました。当然ながら壮年以上の方は昔の日本の統治を受けた体験を持ち、現在の蒋介石以降の統治、更に二つの中国という大きな緊張の中で、狭い国土に2千万人がひしめき暮らす国、生活は中国本土よりはるかに豊か、という国の特殊事情で全てが目から鱗で、これまでの私の不勉強が反省となりました。

派遣団は、我々は気楽段のですが、先方では大きく取り上げられ原子力委員(大臣)が歓迎挨拶をするほどの行事になったが、本番の学生対話では大変な収穫がありました。すなわち

① 台湾の原子力学生は底抜けに明るく、彼等は技術に二つの中国に国境を感じていない。本土の原子力の大発展には技術屋不足なので自分達も参加するつもりでいる。

② 台湾と本土とは技術的に深い交流があり、高速炉の先端技術などもかなり双方が支援分担の仕組みにある。高速炉実験炉の臨界もごく近いとの事。

③ 廃棄物処理は日本で言う低レベルの最終処分地の選定が国の目下の最大の関心事であり、周到な計画で候補地選びをしている現状が分かった。

以上、走り書きのメールになりましたが、本年度もご一緒に同志の交流と行事計画を進めましょう。桜前線はいま北上中、今年の春も近い。皆さんお元気で頑張りましょう。

2009年4月1日 原子力学会シニアネットワーク連絡会 会長
竹内 哲夫 自署

シニアネットワークの竹内哲夫会長からご恵送いただいた「六ケ所が目指すこと」(フォーラム・エネルギーを考える編、生産性出版)は寺島実郎、中村政雄さんほか素晴らしいコメンテーターに加えて、木元教子、河野光雄さん等、竹内さんが云われるフアシリテーター(司会、進行役というより会議のまとめ役、論点整理をする仕切り役)となっているので大変読み易く、わかり易い内容でした.

CPスノーは、先進国における文明発展の最大の阻害要因として、人文科学系の評論家・ジャーナリスト達と自然科学系の技術者達との「二つの文化」の断絶と確執にあると指摘しておりますが、今やわが国における原子力推進の鍵は個々の住民、或いは、国民の原子力に対する理解と、業際・学際を越えた国家戦略が必要である事を痛感いたしました.

頂いたご本は今後「SNW東北」会員の 皆さんで回覧することと致しましょう.なお、竹内さんには「SNW東北」設立時のご臨席と、その後「SNW東北」会員の皆様に対する洞察力に富んだご挨拶メールをいただいた事に対する御礼を申し上げるとともに、今後益々のご活躍とご指導をよろしくお願いしておきました.(以上)

最近のトピックスとして電力業界によるプルサーマルの計画変更のニュースが新聞紙面を飾っています。計画が遅れた理由として、電力会社の事故隠し、データ改竄等の不祥事による信用失墜を挙げているものが殆どです。安全上とくに問題があるとも思われず、独仏等で何の問題も無く実施されていることを知っている者から見れば、日本でなかなか実施されない理由には他の理由もあると言いたい所ですが、この時期偶々であったとはいえ以前には無かったような不祥事の発覚が及ぼした影響を、どのようにして乗り越えていくか、(どのように一般の人に説明していくか)、OBとしても自分たちの経験のなかに回答が見つからない新しい問題を含んでいるように思えます。

現実には設備に関する基準に加えて運転保守管理面にも様々の規制が加わり、これを遵守する努力を説明して、一般(具体的には特に自治体の首長、議会)の理解を得ていると思うのですが、運転管理という事業者の自主的活動が大きな比重を占める分野での規制には、本来現場の仕事感覚に明るい人に依らないと、俗に箸の上げ下ろしまでと言われるような瑣末なことまで形式的な規制に陥るリスクがあり、実際そうした苦労話も聞こえてきます。

具体的なケースは別としてあくまで一般論ですが、安全規制に関する関係者の意識は、私が現役時代は勿論、つい最近まで規制側の国と規制される企業との2者の間の問題として捉えていました。規制内容の変更は技術進歩等を反映し、企業の自主性を尊重し活性化を図り、結果として国の経費を節減するのが目標でした。企業側から見れば、なかなか規制緩和してくれない規制側の態度は、仕事を失いたくない保身的かつ不勉強なものに映ることも少なくなかったと思われます。しかし最近は、原子力の場合とくに目立つのですが、地元住民(自治体も含め)といった第3者に対し説明し理解を求めると言う側面が無視できなくなっており、その説明も、国が認めているから問題ないというだけでなく、自らの言葉で主体的に説明していくことで信頼を得ることが重要です。(もっとも昨今の不祥事発覚のケースでは、悪いことをした当事者の釈明より、第3者的立場の批判を聞きたいということになったのでしょうが。)
昔と違うのは、規制側、被規制側(電力)と同時に住民側の3者間の問題であると言う意識を強く持つことです。古い話しかできなくて恐縮ですが、法令に運転管理面に関する項目として保安規定が設けられた当初は(電事法と炉規制法で少し違いますが)、社内の自主的な規則との重複を出きるだけ避け、瑣末な問題への国の介入を減らし、現場に即した変更等事態に即応して行われるようにするため、その記載事項をなるべく少なくする交渉が行われました。現在は不祥事の再発防止の意味もあって様々事項が含まれているようですが、運転管理について、その基本を対外的に説明する際に極めて重要なこの規定は、効率的な行政を求めるのと同時に住民等一般への説明を意識して考えるべき時代に変わってきているように思えます。実際はもうそうなっていて実情に疎い老人の心配かもしれませんが、とかく意識は変わりにくい面もあるものです。一番言いたいことは、例としてあげた保安規定だけでなく、他の多くの問題でも電力会社側の主体的で積極的な規制側と住民側への説明の姿勢です。確かに油漏れとかボヤとか瑣末な事項まで大きく取り上げられ、しかも反対派に意識的かつ政治的にあおられる事態を乗り越える労苦は昔より増しているとも思えますが、技術的内容や現場の実態に最も精通したプロは企業の皆さんをおいて他にありません。一般の人もそのことは心の底では感じ取っている筈です。

その皆さんの説明こそが最も信頼できるものである状態こそが、自然な姿と言えるでしょう。プロとしてのプライドを失うことなく、困難を乗り越えて、明日の日本のために一層活躍されることを期待しております。

7月15日(水)、水曜会例会の席上、SNW東北のこれからの活動に対してアイディアやコメントなどをいただきたいという趣旨で、菅原剛彦代表幹事がSNW東北について紹介し、次のようなコメントを頂戴した。(ご発言順に)

・原子力に対する社会の寛容度合いはかなり進みつつあるが十分ではない。その意味で、原子力に関する対話が沢山行われること自体意味があるので、頑張ってほしい。しかし、効果を挙げるには講師の説明能力が重要で、そのためには受講者の反応を見極めること、及び、トラブルが発生した際の対策、さらには外国からの情報などが、迅速かつ正確に、講師(シニア)に伝わることが重要である。(阿部 寿様)

・新潟県、青森県との安全協定では、原子力発電所の再起動の安全性に関する最終判断は県知事に委ねられているが、このためK-7はなかなか再起動できず、このような安全協定が結果して、わが国における原子力の稼働率を著しく低下させ、二酸化炭素排出抑制の妨げになっている。このようなことに対して、当事者の現役は中々アッピールしにくいので、シニアネットワークの出番がありそうだ。(高橋由巳様)

・昔、会社の地元対応では先ずオピニオン・リーダ(複数)の理解を求めた。地元自治組織は会社の組織と異なり、リーダの意見即組織の意見とするのではなく、組織内のオピニオン・リーダの意見を集約していたからである。この図式は今も変わらないと思う。オピニオン・リーダの存在を意識することが必要かもしれない。

・原子力では失敗は許されない風潮だが、失敗を繰り返しながらも失敗を大切にすることよって技術は進歩・発展してきた。原子力技術の分野でも同様であることをもっとPRしてはどうか。(大島達治様)

・「学生との対話に参加して気づいたことは、学生は対話に関心が高く真剣に反応するということ。例えば、原子力については、将来の供給力に占める原子力発電比率、高レベル放射性廃棄物の処分見通しなど、また今話題の新エネが原子力の代替になり得るのでないか等日頃の疑問が話題になるのでシニア側もしっかり受け止め対話する必要がある。

・八戸工大を見学して感じた事は、私立工大として相応の活動をしているが、原子力諸施設を抱える地域の唯一つの大学としては淋しい感じがする。西地域の福井に見習い原子力関連の研究施設や学部新設など東北の官・学・産が一体となって働き掛けて行くべきでないか。(松岡俊司様)

以上、当日の出席者は60数名でしたが時間の制約もあって、多くの皆様からご意見をいただくわけには行きませんでした。SNW東北会員の皆様からも今後の活動について忌憚のないご意見をいただければ幸いです。(菅原記)